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精神世界、スピリチュアルにおける神の概念

スピリチュアルの世界には、『神』の存在に近づいたり、一体化したり、神の愛に触れるための方法論や概念がある。
スピリチュアルをやって、特殊な変性意識状態に入った時、神がかり的な状態になる人がいるけれど、本当に神がその人に降りてきたのか? 一体化しているのか?
それは誰にもわかりません。

本人の自己申告ですし、神に出会わなかったと誰も証明できません。
まあ、神の概念自体がとてもあやふやで、だからこそ、悪徳スピリチュアル業者(カルチ新興宗教も含む)に心の隙間をつかれて、人生を台無しにしてしまうわけだけど。


精神世界に深く入って神の意識、神の愛に触れる人は確かにいるが

神は存在するのか、存在しないのか?
この論争はとても不毛です。
ただし、スピリチュアル的なものを追求する人にとって、ある深い変性意識状態に入った時、神秘的な体験をすることは確かです。

まさに『神』と出会ったと思ってしまう人がいるのも当然だというぐらい、ある瞑想状態が突き抜けた状態になった時、神がかった精神構造になります。

本当に神なのかどうかはさておいて、神秘体験や奇跡体験は確実にどんな人間にも起こりうることですね。
広義の「神」という意味で、人はどうやったら神に出会えるのか、神から遠ざかってしまうのかを書いていきたいと思います。
「神」の存在を信じない人、ピンとこない人はこの文章中の『神』を宇宙の叡智、ハイヤーセルフ、高次元な存在、集合無意識、超越者、精霊、霊的な存在、天使、守護霊などに置き換えて読んでください。


神は追求するものではなく、結果的に感じるもの

『神』に出会いたかったら、それを追求することはない。
『神』は想像の範疇を超えてしまった存在で、わからないものを追求しても、到達するわけがありません。
瞑想やスピリチュアルや精神世界において、自分がすでに知っているものだけをまずは追求すべきです。

自分の知らない存在は、いくら瞑想を続けても、追求すればするほど遠のくだけ。
その追求の行為自体が、神に出会う可能性を著しく低くする障害となる。
だから、瞑想やスピリチュアルをやるときは、神様と一体化したくても、降りてきてほしくとも追求するべきではありません。


瞑想、精神世界の効果を強く上げるコツ

例えば瞑想は、自分の知っている世界を深く掘り下げていく行為です。
瞑想で想像外のもの、想像の産物でしかないものをもとめてはいけない。
自分そのもの、自分の感じてきたもの、自分の記憶、それらに深く追求していくべき。

そこを徹底的に極めたら、はじめて己を知ることができ、未知の扉が開く。
自分を知らない人間に、想像以上のものはやってこない。
まずは自分自身、自分の中の内なる神に出会うべき。
そこからしか、その先はないんです。


神とは愛でもある。
愛を感じられない人間に神は感じられないし、愛に包まれた人に神は舞い降りる。
究極に深い瞑想状態、変性意識状態に入った人は、例外なく愛に包まれる体験をする。
魂の浄化のすごさ、至福感、完全に満ち足りた感覚になっていく。


超越した意識の感覚の体験

解釈によってはその愛の感覚こそが神様との一体化だと思う。
僕が岩波先生の元で絶対的至福感の感覚に包まれた時、「あ、これが神との一体化なんだ!」と思った。
僕は宗教的、教義的な意味で神という解釈をあまりしない人間だけど、「神を感じられた」と感動している人の気持ちはわかる。
岩波英知先生のワークショップは宗教的な、スピリチュアル的な解釈を強制せず、各個人の感じ方に任せています。

愛に包まれた感覚は、ある宗教を信じている人にとっては、神に包まれた解釈になると思うし、神の愛に触れられた感動を味わうだろう。
別の人ならば(宗教を一切信じない人)、昔母親に愛情たっぷりに抱きしめられた頃の記憶と結びつけるかもしれない。


努力感、追求感、欲望を一度捨てたら、絶対的な精神世界に入れる

ともかく、神は求めたらいなくなるように、愛も求めたら逃げてしまうものだ(周りにたくさん人がいても一生孤独な人は、愛に対しての渇望が強く、依存性が強く、だからこそ孤独感がひどい)。
愛は感じられるから愛なのであって、愛を貰おうと頑張ると孤独が押し寄せてくる。
そして、愛を知らない人が愛情の感覚がわからないように、神の存在も愛の感覚も想像できない人にとって、わけがわからないものだ。

だから、瞑想やスピリチュアルをやる時、未知なもの、想像できないものを追求すると、不毛な時間になるだけ。
あくまで基本は、自分自身、自分の感覚、自分の記憶(覚えていない記憶も含め)を深く追求することだけです。
それが一番自分が知っているし身近なものだから。


あまりに浮世離れしすぎたスピリチュアル的思考になると・・・

どうしてもスピリチュアル的なものをやると、自分とは一番遠いところに自分自身を連れていきたいと思ってしまうけれど、それでは第一歩すら踏み出せない。
身近なものを征服してこそ、その先に進める、僕はそう強く思います。

スピリチュアルや精神世界のようなとらえどころがない世界でも、あくまで自分自身という具現化できるものから始めなければなりません。

だれもがスピリチュアルのプロではありませんが、自分自身の最高のプロは自分だけです!